母、むすめ展が終わりました。
この企画は、わたしが言い出したことですがなんでこんな企画を思いついたのかな?と展覧会が近付くにつれて逆によくわからなく
なっていました。
母と合作の作品を作ったらおもしろいかな。母の作品っておもしろいからみんなも見てくれたら嬉しいな。とか、母の視点ってなん
だかまっすぐじゃなくて、横道いったり脇道いったりですごいんよなあ。とか、そんな所をうまいこと魅せるってどうやったらいい
のかなあ。とか考えているうちにさっぱりわからなくなって、母から預かっていた作品を前にしてなにをどうしたらいいのかわから
なくなっていました。
ひとつ、ふたつ、母の遺伝子がつくらせたのよ。というかばんを作った後は、なんだかとまってしまってどうしたものか。と思いな
がら、日々の仕事や日常のばたばたしたしたことに気をとられてしまっていました。
なんでも考えすぎると、今度は体が動かなくなるところがあります。なので、本当にやりたいことっていうのは、考えるよりも前に
もうその思いついた時に、やらなくては新鮮じゃなくなるんですね。
でもどんどん時間がすぎていき、展覧会は目前です。その間、母からはよく作品ができた、本ができたと、熱い電話がかかってくる
のでした。それを聞くたびに、やる前から母に惨敗。と思っていたんですね。

でもこれはもうちゃんとしないと、間に合いませんよ。という時になって、とりあえずパネルをつくろう。と思ったわけなんです。
プロフィールとか展覧会をするにあたっての感想とかそういうのです。
文章をかいているうちに、ああそうか。と思ったことがありました。
当たり前のことだけど、母はわたしの母です。わたしを産んだ人です。
電話の声が似てるねえ。と言われたり、若い頃の写真がちょっとだけわたしにも似ていたり、性格の一部分がこれは母ゆずりだな。
と思うことがあったり、なんだか改めてむすめよねえ。とか思う遺伝子の不思議というか、ある意味あたりまえなんだけど、やっぱ
り不思議で、でもそれはわたしはひとりだけどわたしの中には、母だけじゃなくて、父もいて、おじいちゃん、おばあちゃんもいて、
会ったこともないけど、ひいおじいちゃんやひいおばあちゃんもいて、それは父方も母方もと辿っていくともうほんとうたくさんの
人がつながっていて、と思うとなんだか文章をかきながら実感してしまって、すごいなあ。と感動してしまったわけなんです。
そして、わたしもそうやって繋げていくのかあーと思うとほわっと、じわっとあったかい気持ちになってきて、そうか、そういう
ことをやろう、と思いました。
わたしの作ったものだけど、なんとなく振り返ってみるとこれは母の遺伝子的、なものを集めてみようと思ったわけなんです。
それから今まで作ったものに、母のなにかをプラスすることによって、きれいに整ったものがへたくそになっていき、個性的になる。
熱中しだしたら、とまらなくなってどんどん作っていきました。
高校生の時につくった写真集や、姉とつくった詩画集、今までのカタログブックも並べてみました。
カタログブックを作らせたのは、母の遺伝子8割り、父の遺伝子2割り、ですね。

母はなにがすごいって、まず作品の量です。
天才は多作である。という誰かがいった言葉がありますが、本当そうだと思います。
1点や2点で勝負、じゃなくて、もう数で勝負。みたいなところがあります。
でも、ああいったもの(言葉では説明しにくいです、展覧会をみてくれた人はなんとなくわかってもらえると思いますが)を作り続けて
いるうちに、一般的な常識とかぶっとんでいくんでしょうね。枠が、もうなくなってしまうんです。
その枠がない感じが、とても自由でのびのびしていて作るという行為を見ていると、楽しいから作るんだよな。とか思ってしまうわけで
す。自由っていうのは、実は難しいことなんですよね。わたしなんかは掴みどころがなくなって、ぷかぷかしているように感じます。
枠があったほうが人間、簡単なんです。
母は、お金を稼がない芸術家ですがお金は稼がないけど、なにかを作る人が一番ほしい創作意欲を溢れ出るくらい持っています。
でも、ちゃんと普通なんです。
なんというか、家庭崩壊にはならないんです。
芸術家でもあるけど、母でもあり、妻でもあり、とちゃんとそれぞれを使い分けています。
普通の人間の一生をおくりながら、芸術をしているんですね。なので、ものすごく変わった価値観を持っているわけでもなく、人として
の幸せを一番大事に思っていたりなんかするわけです。芸術のために命をかけるようなそんな過激な感じじゃなくて、自分ができる範囲
で。と思いながら創作していくんですね。
家庭生活を送っていくうえで、ストレスがたまったり、どうしようもないことがあったり、子育てをしてものすごく大変なときも、子供
が自立して寂しくなったりしたとき、助けてくれるかのように母の創作意欲があったんでしょうね。
ぶっとんだことをしている作品もあれば、親や子供のことをつづった作品は本当、普通の愛があふれていたりします。
わたしもこれから先、きっと自分の時間が自分だけの時間じゃなくなっていくと思いますが、そんなことでキリキリしないで、そんな時
にしかできないキラキラしたものを、みつけていきながら生きていきたいなあ。と思っています。
そうはいっても、独身のときのような仕事の仕方ができなくなってストレスがたまったりイライラしたり、思いとおりにはならない子育て
に、ふりまわされまくるのかもしれません。
でも、そんな時自分が今までやってきたなにかを作ったり、書いたりという行為が助けてくれるのかもしれません。
なんとなく、母をみながらそう思います。

母、むすめ展。
本当にいい意味を持てることができてよかったです。
母と何日間かギャラリーに一緒に通い、スタッフとみんなで話しをしたり、ソーイングテーブルでお茶をしたり、楽しかったです。
母に会いたいと思ってきてくれた古くからの母の友人や、サイトをみて興味を持ってくれた人、ひとりの個展では会えなかった人たちと
会えたこともとても嬉しかったです。
思った以上に、たくさんの方々が今回の展覧会にみにきてくださいました。本当にありがとうございました。
記帳ノートに、たくさん言葉を残してくださりとても嬉しかったです。今、その記帳ノートは母のもとにあります。とても喜んでいました。
元気、でるなあ。だって。
わたしも、なんか元気でたなあ。という感じです。
また何年後かに、母、むすめ展2回目をしてもいいな。

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